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ごあいさつ
はじめまして、稲川です。
私は現在、名古屋市在住でおもにサロンの売上を上げる方法を教えていたり、情報コンテンツを販売したりする仕事をしています。
もうすぐ50歳になります。
自己紹介をさせてください。
26歳で親の飲食店を継いだ
実を言いますと、もともと私は飲食店から始まっています。
23歳から26歳まで銀材のイタリアンで勉強させていただき、26歳の時に名古屋に帰り親の飲食店を継ぎました。
親は洋食レストランをやっていましたが、私はイタリアンに変えてOPENさせました。
32歳まで色々ありましたが、飲食店は店長を雇って私は現場から離れ、違うことをやろうと思ったんですね。
飲食店ってあんまり儲からないんです。
原価と人件費だけで65%いきますので、諸経費もろもろ合わせて残るのが15%くらいです。
で、32歳の頃に「原価が無い商売」がやりたくて何をやろうか考えました。
32歳でヨガスタジオを始めた
で、見つけたのがヨガスタジオ。
岩盤浴室の中でやるヨガなんですけどね。
最初はインストラクターを集められなくて、アルバイトを募集して私がスクールのお金出してインストラクターの資格を取らせて、その子だけでやっていました。
受付は社員とアルバイトで3人くらい。
OPEN前にチラシの折り込みを7万部やって街頭配布もやって準備万端でOPEN日を迎えましたね。
初月の売上が17万しかなかった
あの頃のショックと焦りは忘れられないので覚えているのですが、正確には17万3千円でした。
スタッフの給料だけでも80万超えていましたので、諸経費入れて150万くらいの赤字を出しました。
2ヶ月目38万、3ヶ月目54万と上がっていきましたが、すぐに頭打ちになったんです。
このままだと3ヶ月以内に資金が出せなくなるのは目に見えていましたし、スタッフも雇ったばかりで辞めてもらうことなどできません。
支出をなんとか減らすために自分で毎日コインランドリーにタオルなどを洗濯乾燥しに行っていたことも今では思い出です。
そこへ救世主が現れた
途方にくれていたんですが、以前に飲食店のほうでお世話になった東京のコンサルの人がいまして、その人に現状を相談したんです。
その人の答えは、
『ホームページのTOPページに私が書いた文章を載せてみてください』
という簡単なものでした。
送られてきた文章は、当時の私からすると『かなり怪しい文章』で、こんなこと載せて大丈夫かな?と思ったことも覚えています。
題名は『岩盤ヨガで痩せる3つの理由』というタイトルのレターでした。
業者の方へ連絡してその文章をTOPページに載せてもらったんです。
翌日にスタッフから連絡があった
『新規の予約が急に8人入ってきました!』
スタッフから電話がかかってきてこう言われたんですね。
全員『ホームページ見たんですけど』と言ったらしいのです。
結果として、その月の新規の予約数は約70人でした。
今から思うと、当時はホームページ集客が容易であったと思います。
『ヨガ 名古屋』
『岩盤浴 ヨガ』
などのキーワードでは1位か2位に表示されていましたし、
私が少し勉強してyahooのPPC広告(当時はオーバーチェアと呼ばれていました)をやってみたところ1クリック35円くらいしかかかっていませんでしたので月に35000円の広告費で60人〜80人ほどの新規予約が取れていたのです。
会員システムを容易して会員になってもらうことで売上は200万くらいまですぐに上がりました。
それと同時に、ホームページに『インストラクター募集要項』をつけておくだけでバンバン問い合わせが来るようになったので、それ以降インストラクターに困ったことはありません。
常に空き待ちがいる状態でした。
でも私にはダメな部分があった
でもそんな良い状態は長くは続かなかったんです。
もっと売上を上げるために毎週スタッフとミーティングをやっていましたが、いっこうにやる気になってくれなかった。
そうです。
私は人を育てるとか、やる気にさせるとか、そんなことができていなかった。
ジリジリと売上は下がっていくので焦りは出るし、スタッフにも厳しくなっていった覚えがあります。
実はお金を抜かれていた
これも結果論でしかないのですが、
売上は下がっていたのではなく、スタッフに抜かれていました。
それは、インストラクターの1人の子の告白で分かったんです。
『社員の人たち、みんなで売上抜いてますよ。
確かめてください。でも私が言ったことは絶対に言わないでください』
過去に遡って調べたところ、20%くらい抜かれていましたね。
お金を抜かれるということは飲食店でも経験があるんですが、これは経営者のリスクヘッジの問題です。
スタッフが抜けるような環境にあったわけですから私の責任です。
8年間でヨガスタジオは閉店しました
実はその8年間の間に、脱毛サロンとリラクゼーションのお店も出していたのですが、40歳の時に私は決断しました。
全て閉店してスタッフ全員に辞めてもらい、1人でビジネスをやる方向へ舵を切ったのです。